![]() |
![]() |
![]() |
|

本作映画化にあたり、少年時代に読んだ自伝に衝撃を受けて以来、映画化が夢だったというプロデューサーのトマ・ラングマンは、「死後30年近く経つが、ジャック・メスリーヌの神話はいまだ色あせることがない。多くの人が彼の人生をスクリーンで見たいと願ってきた」と語る。
しかし最初のチームで作った脚本は、メスリーヌ役をオファーしたヴァンサン・カッセルから、ヒーロー化しすぎているという理由で拒否される。そこで無名だが実力のあるアブデル・ラウフ・ダフリに脚本を依頼。さらに、短くも濃厚な人生を送ったメスリーヌを語るためには2本の映画が必要と考えた。 「フランス社会を具現化したような男を通して、彼が生きた時代の社会がどういうものだったか理解しようとした。60~70年代は右派の時代であり、伝統を重んじ保守的な社会だった。メスリーヌはそういう社会に風穴をあけるようなことをやってのけ、誰もが彼のドラマに想像をかき立てられた」と脚本家は語る。 ラングマンはさらに、『アサルト13 要塞警察』のジャン=フランソワ・リシェに監督をオファー。リシェはヴァンサン・カッセルの起用を条件に承諾した。 |
撮影は2007年5月から2008年1月にかけて、フランス、カナダ、アメリカ、スペイン、イギリス、アルジェリアといった、実際にメスリーヌが過ごした場所で行われた。脚本家は、「街はメスリーヌにとって舞台だった。最後の舞台クリニャンクール広場が彼の生まれた場所に近かったのもただの偶然とはいえないだろう」と言う。また「隠れ家があったパリのベリアール通りで撮影した時、店の主人や隣人、浮浪者まで多くの人がやって来てはメスリーヌのことを我々に語ったよ」とカッセルはコメントする。
本編に繰り返し登場するメスリーヌ射殺シーン。Part1のはじめで、メスリーヌとシルヴィアの動きを、時間をずらしたコマ割り画面でスリリングにとらえ、Part2は、メスリーヌがすでに射殺されブルサール警視が事件の経過をメディアに語るシーンで始まる。そしてラストシーンは、張り込んでいる警察の目線でメスリーヌたちを追いつめる経過が語られる。 ここでは、車中のメスリーヌを映すカメラとは別に、ブルサールが渋滞の車を降りて走り出すと、クルーも車を降りカメラを肩に担いで追いかける。広場を横切ろうとするブルサールに、四方八方から車が押し寄せ一斉にブレーキをかけるという、潜入ドキュメントさながらの迫力ある撮影となっている。 |
|
![]() |
||||||||
|
アルジェリア戦争
フランス支配下にあったアルジェリアが独立を目指した戦争(1945~62)。 アルジェリア民族解放戦線(F.L.N)が形成され武装闘争、テロ活動が本格化。独立を阻止しようとする極右の秘密軍事組織O.A.S.(ギドが所属している)の反対を押し切って、62年、ド・ゴール大統領は独立を承認。 |
ケベック解放戦線(FLQ)
ジャン=ポール・メルシエが所属していたグループ。 カナダ連邦政府からのケベック州独立運動を主張した左翼グループ。1963年~70年にかけて、爆弾テロ、銀行強盗、誘拐を含む200件以上のテロ行為を行う。 |
ドイツ赤軍
ブルサールによる逮捕時にメスリーヌはドイツ語で自称。 学生運動から始まった極左地下組織バーダー・マインホフ、のちのドイツ赤軍は、反帝国主義、反資本主義をモットーに70年代を中心にテロ活動を行う。 |
チリのクーデター
メスリーヌがサンテ刑務所内でニュースを知る。 1973年9月11日、ピノチェト将軍ら軍部によるクーデターで社会主義政権は倒壊、アジェンデ大統領は暗殺。90年まで、軍事独裁政権になる。 |
赤い旅団
フランソワ・ベスがサンテ刑務所内と脱獄後にテレビニュースを視聴。ラストシーン近く、メスリーヌがクリニャンクール広場へ向かう車中で「ミラノに行って赤い旅団と会う予定だ」と言っている。 1970年に結成されたイタリアの極左民兵組織。革命とヨーロッパ同盟からの離脱をねらい、78年のモロ元首相誘拐・殺害事件(当時の内閣が要求拒否したため、殺害された)等、数多くの誘拐・殺人事件を起こす。 |
||||